自然分娩から緊急帝王切開へ アルゼンチンでの出産体験記

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syussann

アルゼンチン人である主人と結婚し、半年後に妊娠発覚。

初産だけど、距離がありすぎるので里帰り出産は考えず、二人三脚で、健診などもいつも一緒に付き添ってくれた。


自然分娩から緊急帝王切開へ アルゼンチンでの出産体験

妊娠6ヶ月くらいに急に主治医が辞めてしまい、それからは毎月違う医者に診てもらっていたが、主治医を決めろといわれ、じゃあこの方に…と思っていた矢先に「私はもうすぐ夏休みを1ヶ月とるから、帰って来る頃にはもう生まれてるだろうね~。」と言われる始末。さすがラテンである。

予定日を4日過ぎたある日、お腹がしくしく痛み出したので、「お、これが陣痛か?!」と早速痛みの感覚を計ってみると、10分間隔の規則正しい痛みがある。余り早く病院に行って追い返されてもいやなので、2時間くらい頑張ってから入院グッズの入ったカバンを持って、いざ病院へ。

なんだかぶっきらぼうな女医がその日の担当医だった。「え、この人だったらイヤだな。」と思いつつ内診をしてもらうと、その心の声が聞こえたのか、おもわず「ウッ」と声が出てしまうくらい痛かった。「まだまだね。一度帰って。」と言われてしまい、ガッカリ。

がっかりした主人は急にお腹が減ったらしく、何か食べたいというが、とても作る気にはなれなかったので、マクドナルドへ行ってビッグマックセットを私まで完食。家に帰って、またゴロゴロしながら痛みの感覚を時々計る。そうしているうちに、朝4時頃には耐え難い痛みになってきたので、また病院へ。

また内診をする部屋に入って待っていると、先ほどのぶっきらぼうな女医が現れた。仮眠をとっていたのだろう、寝ぼけた顔をして、先ほどより不機嫌さが増している。またもや乱暴な内診をし、主人に入院手続きをしてくるよう命令、モニターがある部屋へと移動させられた。耐え難い痛みもあったが、追い返されなくて良かった、とホッとしたのもつかの間、これから『出産』という大イベントに突入するのだと気づき、今さらながらに「えらいこっちゃ」と思った。

どんな姿勢をとっても痛みは変わらなかったが、余りにも苦しいので気持ち悪くなり、トイレに駆け込んで思いっきり吐いた。トイレがある部屋でよかった…。なんでも陣痛が始まってから食べた物は全て吐いてしまうのだそうな。それを早く知っていればビッグマックなんて食べなかったのに…。

その後、順調に子宮口は開き、ほぼ全開になったところで分娩室へ。台の上に上がり、足をおっぴらげた格好で、なぜかしばらく誰も来なかった。しかも裸。痛みはあったが、羞恥心の方が勝ち、かなりオドオドしていただろう。その後布のようなものをかけてくれたと思うが、また気持ち悪くなり、側にいた助産師さんに「吐きます!」と言ったが、嘔吐受けの皿のようなものがそばになく、シーツを顔の横に広げて「ここに吐いて!」と言われたが、さっき吐いたのに恐ろしいくらいの吐しゃ物が出て、自分の髪もシーツも床も汚してしまった。麻酔医には「この子何か食べたの?」と顔をしかめられた。ごめんなさい…。おそるべし、ビッグマック。

どうもいきむのが下手だった私は、分娩中やたらと叱られた。「そうじゃない!」「うんこを出すような感じで力を入れて!」「力が逃げるから声を出さない!」「違う!」「黙りなさい!」と、どれだけ罵声を浴びただろうか。出産ってまるで体育会系やなと思いながら、経験のない私は言われるがままだった。

気がつくと、別の出産を終えた若い看護師2人が隣のベッドにちょこんと座って、私が苦しむ様?を見ていた。「何座って見てんのよ~!」と思ったが、それどころじゃない、ランボー女医に叱咤されながらいきまなければならないのだ。立会いを希望していたのに、主人が入って来ない。なぜなのかは分からなかったが、なんとなく聞けなかった。

そのうち、ランボー女医が「ちょっと手伝って!」と、その2人の看護師を呼び、ランボー女医が股の方から、2人の看護師がお腹の左右に分かれ、大柄の麻酔医が私の腹に乗った!

4人がかりでの押し出しだ!「1,2の3!」で皆が押しまくる。私はお腹の赤ちゃんが大丈夫なのか心配だったが、この気の遠くなるような苦しみが終わるのなら必要なのかも、と言い聞かせ、女医の声にあわせていきんだ。恥骨のあたりがメリメリと音を立てたのが分かったが、やっぱり出てこない。

すると、ランボー女医が「もうかれこれ何時間こんなことやってんの?もう私無理。」と言い出し、助産師や、麻酔医まで「もう無理。」と言う。無理ってどういうこと?!と思いながらも、赤ちゃんが出てこないのは私のせいのような気がして、何も言えなかった。

すると、皆どっかに行ってしまい、また私一人である。え?!諦められた?!と焦ったが、身動きもとれず、オロオロするばかり。そうしていると移動ベッドに乗せられ、別室へ連れて行かれた。

「え?!何?!切るの?!」と思ったが、また聞けず。背中を丸くして、背骨の所に注射され、寝かされた。すると下半身がしびれる感覚があり、「やっぱり切るのかな?」と思ったが、怒られまくったからか、聞き出せなかった。そのうちに何ともいえない、何かが焼けるような嫌な匂いがして、しばらくして産声が上がった。

「はぁ、生まれたんだ。」というホッとした気持ちと同時に、自力で生んであげられなかったことが、なんだか申し訳なくて、泣けてきた。すぐに私の横に連れてきてくれたけど、泣くばっかりで何にも言えなかった。

後の処理が終わって、移動ベッドで廊下に出ると、主人が待っててくれていた。顔をみるとまた涙がこみ上げてきたが、術後2,3時間はしゃべってはいけないと言われたので、手を握るだけだった。

小さい小さいと言われ続け、分娩中も、「小さいのにどうして出てこないのかしら。」と言われていた息子は、3700gでございました…。当てにならないわ。

妊娠7ヶ月を過ぎた頃から、臨月まで逆子を繰り返していた息子。だからなのか、へその緒を首に2重巻きにしており、下に降りてこれなかったそうです。こういうの、前もってわからないのかしら。

まぁ無事に生まれてきてくれて、本当に良かった。

アルゼンチンで、もしくは海外で出産するのを躊躇うような体験談となりましたが、私の場合は少々特殊だと思います。当たった女医が悪かったのかもしれません。聞きたいことはちゃんと聞いた方がいいです。当時、私はまだまだ日本人らしかった…。

心臓のバイパス手術を世界で始めて成功させたアルゼンチンですので、腕のいい医者は山ほどいます。基本的にアルゼンチン人は器用な人が多いとも思いますし。

とりあえず、もう今度は最初から切って下さいね、とお願いしようと心に決めてしまうほど、大変な出産でしたが、子供はめちゃくちゃ可愛いので、すべて帳消しです。今では語れる笑い話。

どんな形であっても、無事出産出来て、可愛い子供に出会えることが一番大事ですから。

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